ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑯

  ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

 この書を手に出来たことは幸運だった。

 読む前と、読んだ後とでは、世界の見え方が、人間に対する考え方がまるで違う。

 書かれている内容は壮絶である。

 精神のか弱い人には、心の落ちこんでいる人には決して勧めることは出来ない。
 この世界にあった本物の地獄を、人間が作りだした地獄の真実を体験した著者レヴェリアン・ルラングァ氏の言葉は、生半可な心構えでは1ページたりとも読み進められはしない。
「世界で一番悲しい」という形容詞は、決して大げさでは無い。

 しかし、この書は、人類の希望の教科書である。

 私は、当ブログでこの「人類の希望の教科書」から文章を引用し、自分なりの解釈や考えを言葉にして綴った。それらを読んだ方が、どのように感じたかは残念ながら私には判らない(直接の知り合いからは少し感想を聞くことは出来た)。

 私は、この手記(『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』)が、当ブログをきっかけとして誰か一人にでも読まれることを、「本・映画・色々」を始めたことの一つの勝利点にしようと心に期していた。そして、このブログをきっかけにして、現在までに三冊の『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』が購入された。

 ちっぽけだが、私はそれを一つの「勝利」だと胸を張ろうと思う。

 これから先も、私はこの『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を読み返すだろう。いや、必ず何度も読み返す。その度に、無力な自分に歯がみをさせられるかも知れない。

 しかし私は立ち向かう。無力を打破するために、人間としての本物の実力を身につけるのだ。

 何年かかるかは判らない。しかし、歩むべき道、方法は見つけた。私は前に進む。悩みながらであろうが、断じてへこたれない。

 本日のこの文章をもって、『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』に対する考察は一旦区切りとする。

 ルワンダの大地で虐殺に倒れた、ツチ族の人々のご冥福を心より祈る。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】 
※今回、引用は無し

  

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑮

  ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

「以下引用」

 一九九四年四月二十日、まだ子供だった私の心の中で神は死んだのだ。人の教えてくれたところによると、虐殺を生き延びたユダヤ人には不可知論者になる者が多いらしいが、私にはその気持ちがよく分かる。エリ・ヴィーゼルはその著作の中で神が死んだ経緯を語っている。ブナ収容所で、ある日彼は、少年が絞首刑にされるのを目の当たりにした。やせ細っていた少年は、ぶら下がっても死に至らないほど軽く、縄に吊り下がったまま身をよじらせて悶え苦しんでいた。その苦しみはいつまでも続いた。子供だったエリは、居並ぶ人々の間からこんな言葉が何度も漏れてくるのを耳にしたという。

「神様はどこにいらっしゃるのか?」「神はどこにいる?」「神はどこだ?」

 やがて見守っていた人々の中から一つの答えが聞こえてきた。

「神はどこにいるかだって? ここだ。ここにぶら下がってるじゃないか、この絞首台に」

 神はこの少年と共に死んだのか?

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 私は子供の頃から、神などというものは存在しないと信じている。今は、信じるとか信じないとかの次元ではない。神などというものは、当然、存在しないのだ。当たり前の話である。

 神は少年と共に死んだりなんかしていない。始めから存在しないのだから。人間の歴史の中で、繰り返し、繰り返し、嫌と言うほど「神」の不在は証明されてきた。

 この、『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を読む限りにおいて、「キリスト教」の「神」は、著者レヴェリアン・ルラングァ氏を苦しめる働きしかしていないようだ。

「以下引用」

 母は最期まであなたのことを信じていました。それはよくご存じでしょう。母がいくら祈っても、私がいくらお願いしても、全能の神であるはずのあなたは指一本たりとも動かすことなく、母を守ろうとしませんでした。私をその乳とあなたの言葉で育ててくれた母は、喉の渇きに苦しみながら死んでいきましたが、あなたは自分のしもべの苦痛さえ和らげようとせず、干からびた母の唇に清水の一滴も注ごうとはしませんでした。その唇は最後の最後まであなたの名を唱え、あなたを褒め称えていたというのに。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 もし本当に全能の神がこの宇宙を創りたもうたのならば、もう一度最初から、今度は気合いを入れてやり直すべきだ。それをしようとしないのは、神など端から存在しないからに違いない。

「以下引用」

 あなたには、無垢な人々を救う手さえないのですか?

 自分の子供の不幸も見えないほど目が悪いのですか?

 彼らの叫び声も、助けを求める声も、悲嘆の声も聞こえないほど耳が遠いのですか?

 彼らをずたずたに切り裂こうと襲ってくる汚らわしいやつらを踏み潰す足さえないのですか?

 涙を流す人々と共に、涙を流す心さえ持っていないのですか?

 か弱き者や小さき者を守るはずなのに、ゴキブリたちさえ守ることができないほど無力なのですか?

 つまりあなたは、闇の中にいて盲目の眼差しで私を見つめるだけの無力な神なのですね?

 しかしそんなことはどうでもいいのです。私の心の中では、あなたはもう死んでいるのですから」

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 これ以上、「神」については語る意味すらも無い。

  

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑭

 ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

「以下引用」

 生き残ったツチ族は、あのジュノサイド特有の難題に直面した。ジュノサイドの後に大きな誤解が生まれたのだ。一九九四年七月にPRFがギガリを占領して虐殺の集結協定に調印すると、何十万というフツ族、何十万という虐殺者たちが報復を恐れて逃げ出し、ザイール国境にある巨大な難民キャンプに向かった。全世界のカメラに映される悲壮な集団逃亡。最近派遣されたばかりで状況が何も分かっていない特派員たちが涙まじりに解説する。

「気の毒にもこの人たちは家を、国を追われて逃げていかなければいけません。その姿はあまりにも悲惨です。避難民の中でコレラが猛威を振るっています」(これらの表現はみな、ある意味では正しい)

 私たちの虐殺が屍衣に包まれたかのように沈黙した途端、途方もないメディアが殺到したのだ。フツ族の集団逃亡が、ツチ族のジュノサイドを押し隠してしまった。私たち生き残りは、世界の大国いずれにも見捨てられた。そして私たちは見たのだ。その同じ大国が殺戮者のことばかり考え、彼らを可愛がり、彼らに食料を与え、彼らの世話をし、彼らの上に世界の同情が集まるようにしているのを。自分たちがたった今経験したばかりの恐怖に茫然となっていなければ、私たちは声を張り上げていたことだろう。

「だがあいつらは人殺しだ! なぜあなた方は私たちには何もしないで、人殺しの方を助けるんだ?」

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 何たる理不尽! 何たる不条理!

「理不尽」を訴える人間には、ルワンダでツチ族の人々が直面した本物の理不尽を教えればいい。

 ツチ族の人々に襲いかかる試練のあまりの酷さに、怒りと悲しみの感情とぶつける相手のいない疑問しか湧き上がって来ない。

 大国のメディアは何故ジュノサイドは黙殺し、虐殺者たちの集団逃亡には関心を示したのだろうか。何故このような出来事が引き起こされてしまったのだろうか。本物のジャーナリズムは最早この世界には存在しないのだろうか。
 ルワンダにおける過ちに対する、メディアのその後の対応はどうだったのだろうか。

 不正義の支配するこの世界を変えていくために、私たちがしなければならない事は多い。

 以下は私自身の覚え書きである。

・自分の頭で考えること。
・自分の眼でものを見ること。
・真実を見抜く眼を養うこと。
・時には耳を澄ませること。
・人間という存在の、汝自身を知ること。
・声を発すること。
・耐え忍ぶこと。
・正義を胸中に築き上げること。
・実力を付けること。
・善の連帯を創り上げていくこと。
・世界を良くしていくのは、今を生きる人間の手によってでしか成し遂げられないということを強く胸に刻み込むこと。
・無力な自分を諦めず鍛え上げること。
・人間を信じること。

 想像を超えた角度とスピードで何度も振り下ろされる悲運のマチューテを耐え忍び、それでも正義を勝ち取るために立ち上がった一人の青年、レヴェリアン・ルラングァ。
 世界で一番悲しい光景を見たその瞳で、真実を見透かした上で綴る彼の文章を読む「義務」が「正義」を口にする人間、求める人間にはある。

 

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑬

  ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

「以下引用」

 毎年四月に追悼式典が開かれると、ある時には学生や生徒達たちの前で、ある時にはマスコミの前で講演を依頼されることがある。そういう時、聞き手は本当に衝撃を受けて親密な同情を寄せることは寄せるのだが、その眼差しの中にしばしば不信が湧き上がり、私の話を疑って距離を置くようになるのだ。「もうたくさんだ!」と彼らは考える。あまりにも耐えられない、あまりにも痛ましい、あまりにも恐ろしい、ありえないような出来事が本当に起こったなんて、あまりにも……。あらゆる点で限度を超えた、語るにも聞くにも痛ましすぎる物語。私はいつも、口を閉ざしてしまいたくなる気持ちと戦わなければならない。

「ひどすぎる。もう止めて!」生き残った人々の中で、自分の経験した悲劇を語っている時にこんな言葉を投げかけられなかった者が何人いるだろうか? 私が時々いくつかの事実をぼかし、細かい描写を控えるのは、私たち証言者にはいつも聞き手に信じてもらえないのではないかという不安があるからだ。話し手と聞き手の関係を耐えられないものにしないように、私の話を事実だと判断してもらえるように、あえてそうしているのだ。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

「ひどすぎる。もう止めて!」
 こんな言葉を発した人物のことを私は責められない。何故なら私も、この『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を読む前であったならば、同じ過ちを犯してしまったかも知れないからだ。

 一九九四年にルワンダで行われたジュノサイドは、本当に、あらゆる点で限度を超えたこの世界の地獄である。地獄を生き延びたツチ族の人々が紡ぐ言葉は、容赦なく、聞く者の価値観を破壊してしまうだろう。

 しかし、これは決して許される言葉、態度ではない。
 ジュノサイドの現実を話す、ツチ族の言葉を遮るような権利は、どこの誰にも与えられていないのだ。聞きたくなければ、何も言わずその場から去るべきだ。臆病者は静かに逃げ出すべきなのだ。

 レヴェリアン・ルラングァ氏は、読む者の不信を心配して、この手記においてもいくつかの事実をぼかし、細かい描写を控えているのだろうか?
 この書に綴られた文章は凄まじいが、ジュノサイドの地獄は決して言葉で表現できるようなものではないだろう。世界で一番悲しい光景を見たルラングァ氏の、本人でさえ言語化出来ない精神内面の苦悩を、たとえ百分の一であろうと、千分の一であろうと私は受けとめられているのだろうか?

 逃げ出さず、眼を逸らさず、耳を塞がず、ツチ族の人々の苦悩に少しでも同苦できるように、私は本書を繰り返し読む。

  

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑫

   ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

「以下引用」

 瀕死の重傷を負った犠牲者が相手の虐殺者を赦したとか、残虐行為の数年後に和解が成立したとかいう数々の素晴らしい例を引き合いに出す人はたくさんいる。大部分は好意的なキリスト教徒だ。そんな人たちと話をしている時に身を切るような沈黙が訪れると、テーブルの上にこんな質問が必ず転がり出て来る。

「それで、レヴェリアン、君は赦してあげたの?」

 何て腹立たしい質問だ! 私は怒りを隠さずに答える。

「正義がない以上、赦しなんて問題外ですよ」

 相手は続けて言う。

「誰かが第一歩を踏み出さないといけないんじゃないかな」

「罪を犯した方が自分の罪を認めることが第一歩だよ。そうして初めて人殺しの心にも良心の呵責が生まれるんだ。その一歩は、他人が肩代わりできないものなんだよ。ところがご承知の通り、ごくまれな例外を除いて、虐殺者たちは自分の行為を認めないまま生活している。極悪非道な残虐行為を押し隠したまま、大赦を与えてくれる『秩序』へ服従することで自分の責任をぼかしているんだ。何にもしていない彼らをどうして赦せるっていうんだ?」

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

「それで、レヴェリアン、君は赦してあげたの?」

 どんな人間が、どんな顔でこんな質問を著者にぶつけたのだろう?

「誰かが第一歩を踏み出さないといけないんじゃないかな」

 ジュノサイドの現実を知った上で、著者の乗り越えてきた体験の壮絶を知った上で、こんな無神経な言葉を吐いたとすれば、その人物は軽薄な偽善者かとんだ勘違い野郎のどちらかである。

 勘違い君の寝言に対するレヴェリアン・ルラングァ氏の反論に、私は無条件に拍手喝采を送る。

 後悔も懺悔もないフツ族の人間を、本書を読んでジュノサイドの現実を知った人間は絶対に赦してはならない。

 私は何も、目には目を、虐殺には虐殺を、断じて復讐せよと言っているのではない。

 フツ族の人間が行ったことは、この世界では、この宇宙では断じて赦されないことなのだということを、虐殺者たち自身に魂のレベルで認識させて気付かせなければならない。

 現実を何一つ認識もさせず、罪を犯した自覚もないままに一方的に赦したところで、フツ族の虐殺者たちは、シモン・シボマナは、鼻でせせら笑ってビールを飲むだけに決まっている。

 被害者であるツチ族の人たちに「赦し」の話をする前に、まず、加害者であるフツ族の人間に自分たちの犯した罪の大きさを認めさせなければならない。

 そして、フツ族の人間が、悶絶死する程の後悔と懺悔の深淵に沈み込んだ後、それでも人間としての蘇生の道を、死に物狂いで歩み出した時に初めて、ツチ族の生き残った人々に対して、「赦し」について質問する機会が訪れるのだ。

 物事にはすべて「時」というものがあるのだ。

 こんな無礼千万で、百万光年の的外れな言葉を発した人物は、ルワンダに渡って同じ言葉を、マチューテを握りしめたフツ族の人間に対してぶつけてみるべきだ。

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑪

                  ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

「以下引用」

 対決を避けるわけにはいかない。私は対面を恐れて震えていた反面、それを心から望んでもいた。いつも夢につきまとって離れないあの怪物、私の生活を永久に血まみれにしてしまったあの化け物は、本当にいるのだろうか? シモン・シボマナのキャバレーの前を通るのだ。どうしても行かなければ。たとえどんな結果になろうとも。彼がそこにいて普通に暮らしていることを確かめる必要がある。あの男が馬鹿げた想像力の生み出した魔物ではないことを。

 果たして彼は本当にその場所にいた。カウンターの奥にいたのだ。彼は目を上げた時に私の視線をとらえ、すぐに私だと気付いた。一瞬ぎょっとしたようだ。テラスのテーブルに囲まれたキャバレーの入り口で、私は片目でじっと彼を見た。私の存在を目の当たりにして、周囲は奇妙なほど静まり返っている。シボマナは変わっていなかった。相変わらずずんぐりとして、真っ赤な唇をしていたが、髪にだけは白いものが混じり始めている。彼がおどおどしているのが分かった。死んだはずの者が生きているなんて、そうそうお目にかかれるものではない。

 しかしこのずる賢い男は、すぐに冷静さを取り戻した。そして、愛想のよい態度を前面に押し立てて、親切気に優しい言葉をかけてきた。

「可哀想に! 奴らは何てことをしたんだ!」

 その厚かましさ、事実をひっくり返すそのやり方に、私は呆気にとられてしまった。その時、自分の口が声高にはっきりとこう言ったのを今でも覚えている。

「自分がやったことぐらい覚えているだろ!」

「まあまあ、抑えて抑えて。ほら、ファンタをやるよ!」

 もちろんファンタなど飲まなかった。是非会いたいと思っていた人物に会えた私は、走って市役所へ向かった。国旗が立つその中庭を横切っていく。数ヶ月前、殺戮者たちが酒を飲み、宴を張っていたところ。私が、早く殺してくれと頼んで回ったところ。しかし今日は家族全員の名において、正義を求めてやって来た。人間性に対する罪でシモン・シボマナを告訴するのだ。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 一九九四年に起きたジュノサイドを生き延びた著者は、スイスの慈善団体サンティネルに身を委ね、故国ルワンダを離れてジュネーヴに行った。

 そして、約二年間をスイスで過ごした後の一九九六年に、正義を行うためにルワンダに舞い戻った。著者レヴェリアン・ルラングァ氏はこの時、まだ17歳だった。

 二年前に家族全員を目の前で殺され、自身は鼻を削がれ、右耳を切り払われ、左手を切り落とされ、左目をえぐり出され、うなじを切り裂かれた17歳の青年が、家族の仇討ちを果たすためにではなく、「正義」を求めて殺戮現場に帰ったのだ。

 どうして、それほどまでに気高く強い心を、この著者は持てたのだろうか?

  ジュノサイドに遭遇したのがもし私であったならば、とどれだけ想像を凝らして考えても、直接的な「復讐」を求める己の姿か、恐怖に囚われ一歩も前に進めない打ちひしがれた自分しか思い描けない。

 翻って、シモン・シボマナのふざけきった言葉は、もう、狂いに狂っているとしか表現ができない。人間の究極に醜い姿を体現しているのが、シモン・シボマナという人物の生き様である。この男は、人類の歴史に名を残す極悪の中の極悪人である。

 二年前に、重傷の心と体を引きずって、殺戮者たちに早く殺して欲しいと頼んで回った場所を、強靱な精神をうちに秘めた正義の青年は、たった一人戦うために歩を進めた。

 その一歩一歩が、人類の希望の歩みだった。

 レヴェリアン・ルラングァ氏がたった一人で起こした正義のための戦いこそ、どんな絶望もはね除けて進み、希望を勝ち取るための人類の聖戦である。

 人間が自らの心の中に築き上げなければならない「勇気」と「正義」と「希望」を体現しているのが、レヴェリアン・ルラングァという人物の生き様である。
  

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑩

「以下引用」

 しばらく待てば、天国で家族と再会できるのだろうか? 罪のない者たちを死に追いやった殺戮者たちは、地獄で業火にかけられるのだろうか? 正義は罪人たちを罰してくれるだろうか? 惨殺した屍を誇示するかのように、火を囲んで酔っ払いながら楽しそうに踊り狂うフツ族の殺戮者たち。神はそのうなじを切り裂いてくれるのだろうか? 子供たちの目の前で母を裸にし、暴行を加え、腹を切り裂き、くるぶしを切断した男たち。彼らは永遠の拷問にかけられるのだろうか? わざわざ赦しを乞わせておいてから殺すような下劣な奴らが赦されるのだろうか? 母が必死に祈っていた「慈悲深き神様」は、はきだめのようなこの情景をどう思っているのだろう?

 死に行く子供の問いかけだったこういう疑問を、死ねないまま成人した今も問い続けている。読者はもうお気づきかと思うが、他にも答えが見つからないままになっている疑問がいくつもある。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 著者レヴェリアン・ルラングァ氏の魂からの切実な問いに、この世界の誰が正しく答えられるだろう。

 一生途切れることのない激しい問いかけは、それを発する著者自身をその度ごとに飲み込んで、暗闇の深淵に溺れさせるに違いない。

 問いかけを止めようと思っても、それは決して赦されない。

 身体に刻まれた酷い傷跡が、目の前で虐殺された四三人の家族が、ルワンダの大地に染み込んだ百万人のツチ族の人々の血が、何の罪もない著者を決して解放しないのだ。

 個人的な考えを書く。

 天国・地獄というものの存在を私は信じない。死がすべての終わりだとは思っていないが、輪廻転生のような生まれ変わりを信じているという訳でも無い。「死」が肉体的にどういう状態を指すのかという事は判るが、「死」の本質がどういう事なのか、私にはさっぱりと判らないし自分なりの想像さえ持てていないのだ。

 が、しかし、「しばらく待てば、天国で家族と再会できるのだろうか?」という著者の問いに対して、私は「何の根拠もありませんし、どのような形になるのかはまるで判りませんが、私は会えるだろうと信じています」と答える。

 また、殺戮者たちは、自分たちが行った事の報いを必ず受けるだろうと信じている。

 この宇宙に存在する星々の運行や、ミクロな電子の運動が秩序だっているのは、因果が応報であることの証なのではないだろうか。

 因果が応報であるから、この宇宙はビッグバンという因から始まっているのだ。現代の科学は、そのビッグバンの因までもを紐解こうとしている。

 因果応報であるこの宇宙にあって、人間の行いだけがそこから外れるとは考えにくい。たとえ虐殺を行ったフツ族の人間が、何の報いも受けずに生を全うし死を迎えたとしても、この因果応報からは決して逃れられないのではないだろうか。

 よって、「罪のない者たちを死に追いやった殺戮者たちは、地獄で業火にかけられるのだろうか?」という著者の問いに対して私はこう答える。

「フツ族の殺戮者たちは、必ずその報いを受けて業火に焼かれることになります」

 しかし、虐殺者たちのうなじを切り裂くのは「神」などという曖昧な存在ではなく、「因果応報」という、この宇宙を厳然と貫く法則である。

 

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑨

 すると、先ほどの殺戮者たちが、苦労しながら死体の山をかき分けてこちらにやって来るのが見えた。この番小屋の掃討と略奪がまだ不十分だったらしい。私は部屋の隅に隠れるようにして、死んだふりをした。殺戮者たちは入って来ると、そこに転がっているあらゆる死体を改めて徹底的に切り裂き、所持品をくまなく探り始めた。ふと、彼らがふうふうと喘いでいる声に混じって、ぜいぜいと喉を鳴らす声が聞こえてきた。伯父のエマニュエルだ。たった今背中を切りつけられたところだった。従弟のヴァランスが覆いかぶさっていたせいで、攻撃を避けることができなかったのだ。伯父が哀願しているのが聞こえてきた。

「銃で一息に殺してくれ、頼む。弾代は払うから!」

「いくら持ってるんだ?」殺戮者たちの一人が尋ねた。

「千フラン」

「弾代には足りねえな」

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 読めば読むほど腑が煮えくりかえる。殺戮に加わったフツ族の人間は、断じて人間ではない。この殺戮者たちには地獄すら生温い。

 伯父のエマニュエルがしたのは、生命を助けてくれという哀願ではない。苦しみが長引かないように、いっそひと思いに殺してくれという、絶望の中から絞り出したどうしようもない哀願だった。

 死ぬ寸前の最後の会話が悪魔たちとの救いのない惨めなもので、弾代に足りないというふざけた理由で哀願を拒絶された人物の、心の中に渦巻いたものは何だったのだろう。彼は何故、そのような、あまりにも無慈悲な体験をしなけばならなかったのだろうか。

 いくつもの疑問が頭の中を駆け巡るが、それが一体何になる。

 フツ族の殺戮者たちは、どうしてそこまで無慈悲に徹することが出来たのだろうか。どうしてこんな殺戮が行われたのだろうか。

 人間とは一体、どんな存在なのだろうか。

 こんな悪魔たちがのうのうと生きながらえているような無秩序な世界に、一体、どんな存在意義があるというのだろうか。

 私はこんな問いに囚われ、人間が生きていくことの意味を見失いかけそうになる。

 これこそが悪の恐ろしい罠なのだ。

 ジュノサイドの当事者ではない、遠く離れた異国の人間である私が、紙に印刷された書物を読むだけでこれだけの思いに囚われてしまうというのに、著者のレヴェリアン・ルラングァ氏は家族を殺され自らも重傷を負い、絶望の中でのたうち回った後、このような「正義の鉄槌の書」を著したのだ。

 なんという目映きばかりの勇気だろうか。

 私たちは本書を読む際、描かれている悲惨ばかりに意識を奪われてはならない。その残虐を書き記した、レヴェリアン・ルラングァという一人の青年の、地獄の底にあっても光り輝く正義の魂を感じるのだ。
 

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑧

「以下引用」

 人は、自分を殺した者の眼差しを死の道連れにする。

 私の頭蓋骨に向けて刃を振り下ろしたシモン・シボマナの黒い瞳を、決して忘れない。その眼差しは永遠に私の中に刻み込まれた。大人になった今、当時子供だった私の目がその瞳の中に何を読み取ったのかを説明することはできそうにない。決然とした冷酷な態度、焼けるように熱くこみ上げる憎しみ、狂気と理性、集中と神経喪失、これらが奇妙に入り混じったものだったと言えばいいだろうか。

 そのとき私は、悪魔がこの世に存在することを知った。たった今、その瞳と視線を交わしたところだった。

 シボマナはまず、私に寄りかかっていたヴァランスに切りかかった。従弟の血が降りかかる。シボマナが再び鉈を振り上げる。私は反射的に左手で、頭の前、額の辺りを守った。まるで父親に平手打ちを食らわされる時のように。敵が襲いかかってくる。刃が振り下ろされ、私の手首をばっさり切り落とす。左手が後ろに落ちた。温かい濃厚な液体がほとばしる。私はその場にくずおれた。

 シボマナは私を殺したと思ったのか? 後で止めを刺したほうがいいと思ったのか(実際に殺戮がどのように行われるかは、既に強調しておいた通りである。フツ族の男たちは最初の攻撃では傷つけるだけである。そして「体液」と痛みに浸らせておいてから、二回目の攻撃で彼らの言う「仕事」を終えるのである)? シボマナは次の標的に向かった。父である。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 悪魔の眼差しを道連れに、百万人のツチ族は死に旅立った。

 悲しいことだ。

 恐ろしいことだ。

 地獄はこの世界にある。そして、それはいつも人間が創り出す。

 ルワンダでは百日間、悪が容赦なく行われた。

 シモン・シボマナには躊躇いがない。虐殺に加わったフツ族の人間は、きっと誰一人、躊躇わず悪魔に魂を売ったのだ。でなければ100万人もの人間を殺す事など出来ない。

「左手が後ろに落ちた」
 
という一文が、現実世界の救いの無さを際立たせる。

 人間の悪意・残虐性の究極の姿がここには描かれている。

 しかし、

 どうか、勇気を出して本書を手に取っていただきたい。

 同じ人間として、人間が行った「ジュノサイドという最極悪」の現実を知って欲しい。本書を読むことで心が落ち込むことを心配しておられる方、どうか、思って欲しい。この本を書いたのは、実際にジュノサイドを生き延びた一人の普通の青年である事を。青年は目の前で大切な家族たちを殺され、自らも片腕と片目を失っている。

 どうか、勇気を出して本書を手に取っていただきたい。

 それは、現実を学ぶということ以外の大きな意味と意義とを持っている。

 本書『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を読む、という行為は、レヴェリアン・ルラングァ氏の下す「正義の鉄槌」に協力するということでもあるのだ。
 

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑦

「以下引用」

 伯父ががっくりとくずおれた時、一人の子供がとりわけ大きな叫び声を上げた。九歳になる伯父の末子ジャン・ボスコだ。シボマナはマチューテの一撃で子供を黙らせる。キャベツを割るような音と共に、子供の頭蓋骨が割れる。続いて彼は四歳のイグナス・ンセンギマナを襲い、何故だか分からないがマチューテで切り付けた後で死体を外に放り投げた。イグナスの青いショートパンツが切り裂かれて、尻がむき出しになっていたのを覚えている。このような状況でなければ、笑っていたにちがいない。

 血が血を呼ぶ。荒れ狂う暴力。シボマナは地面に横になっている祖母を踏んだ。暗くてよく見えなかったのだ。彼が祖母を殺そうとすると、祖母は断固とした口調で言った。

「せめてお祈りだけでもさせておくれ」

「そんなことをしても無駄だ! 神様もお前を見捨てたんだ!」

 そして祖母を一蹴りしてから切り裂いた。

 私はその時何も感じていなかった。恐怖、恐怖、恐怖しかなかった。恐怖にとらわれて私の感覚は麻痺し、身動きすることさえできなかった。クモの毒が急に体温を奪うように。心臓がどきどきし、汗が至るところから噴き出す。冷え切った汗。

 シボマナは切って切って切りまくった。他の男たちも同じだ。規則的なリズムで、確かな手つきで。マチューテが振り上げられ、襲いかかり、振り上げられ、振り下ろされる。よく油をさした機械のようだった。農夫の作業みたいに、連接棒の動きのように規則的なのだ。そしていつも、野菜を切るような湿った音がした。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 シモン・シボマナ(今回引用した部分の中で、シボマナと書かれている人物の名前)を始め、フツ族の人間が行った残虐な行為の凄まじさに、何一つ言葉が浮かんでこない。

 筆者が「キャベツを割るような音」と表現しているが、シボマナはツチ族の人間を野菜か何かだと本気で思っていたに違いない。

  狂っているとしか言いようがない。

「せめてお祈りだけでもさせておくれ」

 自分が殺されようとしている時に、断固とした口調でそう言える筆者の祖母を、私は無条件で尊敬する。そんな状況に追い込まれても尚、筆者の祖母は自らの信仰を貫き、取り乱さずに「人間の言葉」を断固とした口調で言ったのだ。

  ヴィクトール・E・フランクルの著した『夜と霧』の中に書かれていた、以下の言葉を私は思い出す。

「以下引用」

「人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」

【『夜と霧 新版』 ヴィクトール・E・フランクル〈池田香代子訳〉(2002年、みすず書房)】

 アウシュビッツでガス室に送り込まれても毅然として祈りのことばを口にした存在と、虐殺されようとしている時に信仰を貫いて人間の言葉を断固と口にする存在が、私には遙か遠い境地に重なり合って見える。

 そんな崇高な存在とは対極の位置にいる狂った男たちは、規則的な機械のような動作で次々と人間を殺しまくったのだ。

 こんな悪魔たちを絶対に許してはならない。

 そのためにも、この『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』という正義の鉄槌の書を、一人でも多くの人に読んで貰いたい。

 そして、感じ、考え、悪を絶対に許さない平和のための怒りの焔を、生命の奥底の部分に点火して赤々と燃えあがらせて欲しい。

 絶対に、絶対に、絶対に、こんな狂った悪魔どもをのさばらせたままにしておいてはならない。この世界にある正義をかき集め、断固、鉄槌を下すのだ。悪に立ち向かうには、心正しき人間が力を合わせるしか方法は無い。

 正しい人間の心を結びつけていくためには具体的にどうしていけばいいのだろうか。

 私たちひとり一人が「世界の現実」を知るために学び、その上で兎に角、「声を上げる」のだ。

  正義は行動によってでしか示しようが無いのだから。

 私たちは、心の奥に正義を仕舞い込んだままにしておいてはならぬ。自発的に、能動的に、光り輝かせていかなければ、正義など胸の奥底で錆び付いてしまう。

 錆びてぼろぼろになった正義では、シボマナのマチューテを防ぐことは出来ない。
 
 

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

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