重耳(上・中・下)にて読書を再開する

重耳(上) (講談社文庫)重耳(中) (講談社文庫) 重耳(下) (講談社文庫)

 久しぶりに読書をした。重耳(上・中・下)読了。最近は本屋にもあまり行かなくなってしまった。原因は分かっている。

  筋トレに夢中になりすぎているからだ。
 
ちょっと体勢を立て直さなければ…。

 宮城谷昌光の本を読んだのは、これが初めてだった。読書のリハビリとして、何も考えずに物語に没頭した。付箋も貼らずに、ただただ目で文字だけを追った。面白い。こんな読書体験は本当に久しぶりのこと。

  やはり、人生から読書を外しちゃいかんな。

 次は同じく、宮城谷昌光の、『晏子』を、今度は付箋を脇に置いてじっくりと読むつもり。

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水滸伝(上) ☆アラフォーブロガー、確かに「てかげん」は必要無しと感じながらも苦笑いすること

 ★★★★★★★★★★×3

 水滸伝 上 (岩波少年文庫 541)

 読了三冊目。

 小学生の頃に読んだ岩波少年文庫版の『水滸伝』を、三十年ぶりに何故かもう一度読み返している。

 いやあ面白いっす。

「以下引用」

(花和尚魯智深、五台山で大あばれすること)より

 近よって見ると、ごく小さな居酒屋だ。魯智深はずいと中にはいると、窓ぎわの食卓に向かって腰をかけ、

「これ亭主、わしは旅の僧だが、一杯たのむ」

といった。亭主は彼の様子を見て、

「和尚さん、どちらからおいでで?」

「わしは行脚の僧で、方々まわってこちらにまいったのだ。一杯つけてくれ」

「和尚さん。もしも五台山のお坊さまでしたら、おことわりいたしますよ」

「いや、わしはそうではないのだ。さあ、はやいとこたのむぞ」

 亭主は魯智深の様子やことばのなまりがちがうので、信用して、

「お酒はいかほどさし上げましょう?」

「いかほどもヘチマもない。大きな碗にたのむぞ」

 立てつづけにおよそ十杯ほども飲んだろうか。魯智深はいった。

「肉はないか? 一皿くれ」

「午前中だと牛肉がございましたが、すっかり売れっちまいました」

 そのとき、プーンと肉のにおいがした。空地に出てみると、塀のところで土鍋に一ぴきの犬をにていたので、智深はいった。

「犬の肉があるじゃないか。どうしておれに売ってくれないんだ?」

「あなたさまはご出家だから、犬の肉なんぞおたべになるまいと思いまして」

「銀子はここにあるぞ」

 魯智深はそういって、銀子を亭主に渡し、

「それを半分くれ」といった。

 亭主は手早く半分だけ切って、ニンニク味噌といっしょに出した。智深大いによろこび、その犬の肉を引きさき、ニンニク味噌をつけて食い、つづけざまにまた十杯ほどもあおった。飲むほどに調子がついて、どんどん注文し、てんでとめどがない。亭主はすっかりあきれてしまって、

「和尚さん、もうそのへんでおよしになったら?」

というと、魯智深はギョロリと目をむいて、

「おれはただ飲みしてるわけじゃないぞ! 何をいうか!」

「あといかほど?」

「もう一桶もって来い」

 亭主は仕方なしに、また一桶くんで来た。

 魯智深はまたたく間にまたその一桶を飲んでしまい、一本だけ食いのこした犬の足をふところにねじこんだ。そして出ていくときいった。

「のこった金の分は、明日また飲みに来るぞ」

 亭主は驚いて、口はあんぐり目はぱちくり、どうしてよいかわからず、智深が五台山へ登って行くのを茫然と見送るばかりであった。

【『水滸伝(上)』 施耐庵 作〈松枝茂夫 編訳〉(1959、岩波少年文庫)】

 子供の頃の私が一番好きになった登場人物が、この花和尚魯智深だった。

 もう、やたらと大酒飲みで、メチャクチャに暴力的である。

 初めて読んだのが小学校の三年生の頃だったので、酒も飲んだ事が無ければ、犬の肉も食った事は無いのに、無性に美味そうに感じられてならなかった。

 編訳者、松枝茂夫氏の「はしがき」に、

『また少年向としてとくにてかげんをすることもほとんどしていません。その必要もありませんでした。というのが、原書はそのままで、大人にも子供にも同様に面白い上に、きわめて健康的な読物だからです。』

と書かれているが、結構えぐい事が(人肉まんじゅうとか)さらさらっと描かれていたりして、思わずこの「はしがき」を思い出して苦笑いしてしまう。

 まあ、でも確かに、「てかげん」は絶対に必要無いと私も思う。 

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ジェノサイド

 ★★★★★★★★★★×3

 

ジェノサイド

 読了27冊目。

 書店で見かけた時、購入を少し思い悩んだ。「ジェノサイド」という言葉を、軽々しくフィクションの小説の題名に付けているという点が気に入らなかったからだ。読み終えた今も、その気持ちに変わりはない。が、小説は文句なしに面白かった。

 おそらくは徹底的な、「取材」「情報収集」によって構築された細部のリアリティーが、読者を問答無用で物語世界に引き込んでいく。自然な形で挿入された伏線を、無理なく回収して尚かつ感嘆させるストリー・テラーとしての力量に唸らされる。

 ジェノサイドの真実を知りたい方には、『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』を勇気を持って読む事を勧める。

「以下引用」

「第二次世界大戦中、近距離で敵兵と遭遇したアメリカ軍兵士が、どれくらいの割合で銃の引き金を引いたと思うかね?」
 茶飲み話で発せられた質問に、ルーベンスは深く考えることもなく答えた。「七割くらいですか?」
「違う。たったの二割だ」
 ルーベンスの顔に浮かんだ驚きと疑念を見て取って、心理学者は続けた。「残りの八割は、弾薬補給などの口実を見つけて殺人行為を忌避していたんだ。この数字は、日本軍の玉砕攻撃にさらされた場合でさえも変わらなかった。最前線の兵士たちは、自分が殺されるという恐怖よりも、敵を殺すストレスのほうを強く感じていたのさ」
「意外な話ですね。人間はもっと野蛮な生物かと思ってました」
 すると心理学者は、にやっと笑って、「まだ続きがあるんだ」と言った。「この調査結果に慌てたのは軍部だ。兵士が道徳的であってはまずいのだ。そこで発砲率を高めるべく心理学的研究が行われ、ベトナム戦争での発砲率は九十五パーセントにまで急上昇した」「軍部はどんなことをやったんです?」
「簡単なことさ。射撃訓練の的を丸型標的から人型標的に変え、本物の人間のように自動的に起き上がるようにした。さらに射撃の成績によって、軽い懲罰を科したり報酬を与えたりした」
「オペラント条件付けですか」
「そう。給餌機のレバーを押すようにネズミを仕向けるのと同じことだ。ところが―」と心理学者は、少しだけ顔を曇らせた。この「敵を見たら反射的に発砲する」ための訓練方法には、大きな欠陥があった。兵士の心理的障壁が取り除かれるのは発砲する時点までであり、敵を殺した後に生じる精神的外傷までは考慮されていなかったのである。結果、ベトナム戦争では、帰還兵の間に大量のPTSD患者を生み出すこととなった。
「しかし」と、ルーベンスは疑問を口にした。「人間がそこまで殺人行為を嫌悪しているのなら、どうしてこの世から戦争がなくならないんです? そもそもたった二割の発砲率で、どうしてアメリカは第二次世界大戦に勝てたんです?」
「まず、人を殺してもまったく精神的打撃を受けない″生まれついての殺人者″が男性兵士の二パーセントを占める。精神病質者だ。だが彼らの大半は、一般社会に戻れば普通の市民生活を送る。戦時においてのみ、後悔も自責の念も持たずに殺人を行うことのできる″理想の兵士″なんだ」
「しかし、それがたったの二パーセントでは、戦争には勝てないでしょう?」
「残りの九十八パーセントを殺人者に仕立て上げるのも、実は簡単なことだと分かった。まずは権威者への服従や帰属集団への同一化などで、個としての主体性を奪う。それからもう一つ、殺す相手との距離を隔てるのが重要となる」
「距離?」
「ああ。この言葉は二つの概念から成る。心理的距離と、物理的距離だ」
 例えば敵が人種的に異なり、言語も宗教もイデオロギーも違うとなれば心理的距離は遠くなり、それだけ殺しやすくなる。そもそも平時からすでに他民族との心理的距離をとっている人間、つまり自らが所属する民族集団の優位性を信じ、他民族を劣等と感じている人間は、戦時においてはたやすく殺人者へと変貌する。普段の生活の中で周囲を見回せば、そんな人間の一人や二人はすぐにみつかるはずである。さらに戦う相手が倫理的にも劣った、鬼畜に等しい連中だと徹底的に教え込めば、正義のための殺戮が開始される。こうした洗脳教育は、あらゆる戦争で、あるいは平時にも、伝統的に行われてきた。敵国人にジャップやディンクなどといった蔑称をつけるのが、その第一歩である。
「物理的距離を保つためには」と心理学者は続けた。「兵器というテクノロジーが必要になる」

【『ジェノサイド』 高野和明〈たかの・かずあき〉(2011年、角川書店)】

 世界は暴力が牛耳っている。暴力の究極が軍事力であり核兵器だ。

 もはや、野蛮な人類が滅びてしまわないのは、奇跡的な偶然に過ぎないのかも知れない。

 我々、現生人類を示すホモ・サピエンスという言葉は、「考えるヒト」という意味らしいが、「最も野蛮な生物」という言葉に変えた方が数段しっくりとくる。あまりニュースでは報道されないが、ネットを渉猟しているとアメリカ軍の兵士たちが行っている残虐には本当に憤りを感じさせられる。

 地球上の生物を何度も絶滅させてしまうだけの核兵器を、我々「野蛮な生物」は保有しているのだ。「考えるヒト」であるのならば、そんな状況には決して自らを追い込まなかった筈だ。

 ジェノサイドは、人類だけが行う。

 この小説の十年後、二十年後の物語を、是非とも読んでみたい。
 

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ツキを呼ぶ言葉

 ★★★★★★★★★★

 ツキを呼ぶ言葉

 読了15冊目。

 著者の桜井章一は、大学時代に麻雀を覚え、裏プロとして20年間無敗のまま引退した伝説の雀鬼である。

「以下引用」

「絶対絶命」という状況はない

 何かトラブルがあると途端にへなへなとなってしまう人がいる。反対にけっこう大きなトラブルに見舞われても肝が据わっている人もいる。
 大きなトラブルが平気な人は、「命があるだけでもOKじゃないか。命を失うことに比べればたいしたことじゃない」と思えるのだ。問題は起こってしまったが、結果は思っているほどたいしたものじゃないと考えられるのである。
 トラブルに弱い人は、必要以上にトラブルの結果を恐れ、複雑に考えて事態を大きくしてしまう。しかしトラブルに強い人はトラブルを等身大でとらえ、冷静に対応していくことができるのでトラブルがどんどん小さくなっていくのだ。
 トラブルを大きくするも、小さくするも、その人の気持ちの持ち方一つである。
 トラブルに見舞われたときは、一瞬視界がそのことでいっぱいになって他のことが見えなくなる。それがおさまって、少しずつ他のものが視界に入ってくるようになればいいが、ずっとトラブルに囚われっぱなしという人もいる。トラブルを「絶体絶命」の状況であるかのように「絶対視」してしまっているのだ。
 しかし、命をとられる以外、「絶対」ということはない。絶対視というのは自分に檻をつくる。その檻に閉じ込められなければ、そこから抜け出す道はいくらでもあるのだ。

【『ツキを呼ぶ言葉』 桜井章一〈さくらい・しょういち〉(2011年、角川書店)】

 正直に告白しよう。

 トラブルに見舞われてしまった時、今までの私はどちらかというと、それを絶対視してしまう傾向にあった。歳をとったせいなのか、それも少しずつ和らいできたし、立ち直るまでに必要とする時間もいくらか短くはなって来たが……。

 人前では強がっているが、本当は結構打たれ弱いのだ。

 しかし私は、突発的なトラブルにガラスのジョーを打ち抜かれても、テン・カウントを聞く寸前によろめきながら何とか立ち上がってきた。

 傍で見ていた人からすれば、
「いや、アンタ、テン・カウントされてたでしょ。ノックアウト負けしてんじゃねーか」
 
となるのかも知れないが、兎に角、私はテン・カウントは聞いていないと言い張らしてもらう。
 私が聞いていない以上、テン・カウントは断じてされていないのだ。

 私の「人生」における絶対的なジャッジは、誰が何と言おうと「私自身」である。世間や他人は、単なる観客に過ぎない(しかもそんなに真剣には観戦していない)。

 ピンチに陥った時に絶対視してしまう「絶体絶命」は、実は自分自身の思い込みが作り上げた一過性の「大袈裟な幻想」に過ぎない場合が多いのかも知れない。

 本当に大切で絶対なのは、自分自身が生きている現在(いま)だ。
「過去」は過ぎ去り、「未来」は未だ来たらず。

 現在(いま)を生きているという事の偉大さを思えば、とりあえず、どんな「檻」からの抜け道も必ず見つけ出せる、と私は思う。檻から抜け出すとは、言い換えれば「絶体絶命」を「大袈裟な幻想」と見破る事だ。

 その際のキーワードは、明石家さんまの好きな言葉、「生きてるだけで、丸儲け」ではなかろうか。

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妻と最期の十日間

 ★★★★★★★★★★×3

  妻と最期の十日間 (集英社新書)

 読了12冊目。

 一生手放す事は無いであろう本に出会った。

 このような素晴らしい本を読む喜びは、人生で最も至福な時のうちの一つに違いない。

 ジャーナリストである桜井和馬氏は、41歳の若さでくも膜下出血に倒れた妻の、最期の十日間を絶望の淵に立ちながら克明に記録し抜いた。

「以下引用」

 五月十二日(四日目)

 昨夜は午後十一時頃、病室のソファーで意識を失うように寝入ってしまった。だが眠りは浅く、午前二時には目が覚めてしまう。妻の寝顔を見続けながら、これからの生活、これからの仕事のやり方に思いを巡らせた。だが、何をどう考えても、今日一日乗り切る以上の未来を思い描くことができない。未来への細い希望の糸を、今は見つけることができないのだ。
 妻が鞄に入れていた日記を手に取った。ボールペンで書かれた一文字一文字から、彼女が日記を書いた時の心模様をたぐりたい。

 私がやらなくてはいけないこと。
 何が何でも私を受け入れてくれた人たちをベースにしたエイズの本を書く。これは絶対。 それから娘に母親の生き方、仕事、考え方をきちんと見せる。正面からいつも娘と向き合い、受け入れる。母親として恥じない生き方を貫く。
 私がやりたいこと。
 子どものための本でも、大人が読む本でもいい。長編の物語を書く。読者が本を読んで心が温まり、力づけられ、ホッとし、考えさせられ、静粛な気持ちになり、いろんな意味で心が揺さぶられる本を書く。
 これさえできたら、いつ死んでもいい。でも、これらができないうちは、いつまでたっても死ねない。          (二〇〇〇年七月二十六日)

 闘志を露わにすることを嫌った妻は、同時に情熱を内に秘めた女性だった。日記に記された一つ一つの文字から、それが手に取るようにわかる。最後に書かれた記述は二〇〇五年二月八日。それ以降は仕事に追われ、日記が更新されていない。彼女が日記を書いたのは、スランプに陥っていた時だから、最近では仕事が面白く、精神的に追い詰められることはなかったのだろう。だが、「私がやらなくてはいけないこと」と書いた目標はまだ実現していない。そのため、単行本くらいの大きさがある日記帳を、いつも鞄に入れて持ち歩いていたのだ。夢を、そして志を忘れないための、それが彼女なりのやり方だった。

【『妻と最期の十日間』 桃井和馬〈ももい・かずま〉(2010年、集英社新書)】

 私たちが、いや、私が生きている今日は、どうしても生きられなかった誰かの明日に違いないのだ。

 私は上記引用部分を読みながら、かりゆし58『さよなら』という曲を思い出していた。

 

 私は、生きている事を当たり前に思う日々を過ごす。しかし、このような素晴らしい書籍に出会って感動した直後は、生きるという事にもっと貪欲と感謝を捧げなければならないと思い定める。

 そして、そんな決意は日常の中で瞬く間に見事にすり減っていくことだろう。

 でも、私はそれでもいいと思っている。

 それが私のありのままの生き方なのだから。

 緊張ばかりの人生も、弛緩ばかりの人生も私は望んでいない。
 全力で戦うべき時は戦うが、時には鼻をほじりながら空をぼーっと眺めるのも必要だ。(オメーはいつも空ばっか見てんじゃねえかよ! という声は完全に黙殺する)

 ともかく、素晴らし書籍を読み終わった今の私は、生きる喜びを噛み締めるためにも戦っていこうと決意を固めている。そして、決意が摩耗するのを防ぐため、リラックス・ユーモア・ファイティング精神(こんな言葉無いですかね?)という潤滑油をたっぷりと全身にすり込んでいる最中だ。
 

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キッドのもと

 ★★★★★★★★★★×3

 キッドのもと

 私は昔から、漫才コンビ「浅草キッド」が好きだった。好きと言っても、出演番組を必ずチェックするという程ではなかったが。

 書店で、この『キッドのもと』を見かけた瞬間、私はほぼ反射的に、中を確認もせず手に取ってレジに向かった。過去、水道橋博士の本は二冊読んでいたが、コンビが書いたものを読むのはこれが初めてだった。

 一気読みした。

 読み終える頃には、この二人「浅草キッド」のことが、「好き」から「もの凄く好き」へと変わっていた。

「以下引用」

 長い間、子供が欲しいと思ったことはなかった。
 なぜなら、中学時代から「自分」だけでも付き合いきれないほど面倒で、扱いきれず、さらに「自分の分身」のような者が生まれるとなれば、育てる余裕も、長く愛せる自信もあるはずがなかった。
 芸人になってからは、その非道ぶりに、ますます「自分は自分で終わらせたい」と、年を重ねるほど強く思うようになっていた。
 そんなボクに二〇〇三年八月、初めての子供が誕生し、その後、我が家は三人の子宝に恵まれた。そして、生まれつき「先天的神経性心配癖悲願性弱気体質自己懲罰願望症候群」のボクは、大いに取り乱した。
 しかし、三回も経験すれば慣れそうなものだが、それでも毎回、妊娠、出産の過程で、ボクは決まってどぎまぎと不安に陥った。
 子供が無事に生まれてからも、赤ん坊の頃の生物としての脆さや、その小さな生命を二十四時間見守ることへの恐れが尋常ではなかった。
 もちろん、その感情はボクだけではなく、子供を授かった時、この世の誰もが経験するものだろう。だからこそ、どんな人も子供が生まれると「変わる」ことになるのだ。
 また、第二子に「娘」を持った時も不思議な気分だった。
 ボク自身が男兄弟で育ったため、家庭に幼い女の子がいることの違和感が長く拭えなかったが、娘が三歳にもなると、日々、娘を持つ喜びを体感させてくれている。息子と比べて、ついデレデレと甘く接してしまう毎日は、さながら″娘キャバクラ″状態だ。
 続く第三子は、なんと二〇〇九年の元旦に生まれた。「おめでたい」にも程があるだろう。しかも、出生率が五パーセント未満といわれる、四〇〇〇グラムを超える巨大児で誕生したのだ。
 こんな小さなボクの子供なのに、人生は何が起こるかわからない!

 ボクに子供が生まれたことを、両親はいたく喜んだ。特に芸人になってから長く弟弟子や秘書と同居していたために、母親からは同性愛疑惑もかけられていたので尚更だ。
 
そのボクが初孫を抱いて初めて帰郷した時、母は、
「たけしに息子をさらわれたと思ったら、息子がたけしという孫を連れて帰ってきた」

 と、しみじみ感慨深げに語った。
 少年時代を過ごした実家で、その言葉を聞いた時―。
 両親が不登校の自分を巡って喧嘩するのを耳にし、「ここからいなくなりたい」と思ったシーンが蘇り、こんな自分にも役割があり、自分が自分だけで終わらず、連綿と続くバトンになった気がした。

 そして、三人の子育てしながら、今、思うのは、
「みんな違って、みんないい」―。
 子育てに関しては、この言葉がボクの結論だ。

(水道橋博士)

【『キッドのもと』 浅草キッド〈水道橋博士・玉袋筋太郎〉(2010年、GAKKEN)】

 二人の人間としての温かさが、文章のあちこちで全開になって溢れてくる。生きていく事の、家族が一つである事の儚さが、味わい深い文章で綴られていて思わず涙がこぼれ落ちる。

 私は、玉袋筋太郎の大ファンになった。

 全ての人に全力で本書をお勧めする。

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「ヨコミネ式」天才づくりの教科書

 ★★★★★★★★★★

 「ヨコミネ式」天才づくりの教科書 いますぐ家庭で使える「読み・書き・計算」の教材

 私の野望の一つに、「我が子を天才に育てる」がある。私は天才ではないので、育て方は真剣に学ばなければならない。

 私自身が成し遂げる野望は、「天才たちと仲良くなる」もしくは「天才に負けない仕事を為す」である。
 日々、精進あるのみ。

 私はこのヨコミネ式のことを、「エチカの鏡」というテレビ番組で知った。著者である横峰吉文氏が経営する保育園の園児たちは、もう本当に鍛え上げられていて、全身が輝きまくっている。しかもそれが少しも不自然では無い。

「以下引用」

 人間は、子育てなしには社会性を身につけることができません。子どもの考え、個性などは、人間としての基礎ができてこそ表れてくるものです。いいことはいい、悪いことは悪いと幼い頃からきちんとしつけておかなければ、その子は問題児のまま育ちます。子どもが悪いわけではありません。子どもの顔色をうかがう、親のほうが問題なのです。子どもが泣くと面倒なので叱らない。子どもが嫌がることはかわいそうだからさせない。いったい、親が子どもの機嫌をとって、なんになるでしょう?

【『「ヨコミネ式」天才づくりの教科書』 横峰吉文〈よこみね・よしふみ〉(2010年、講談社)】 

 この本に書かれていることは、ごく当たり前なことばかりである。

 しかし、その、ごく当たり前をちょうど良いさじ加減で行うことが難しい。

 私は恐ろしすぎる父親に育てられた自分の経験から、子どもを必要以上に叱ってしまうことを避けようと思っている。子どもを萎縮させてはならないと考えるからだ。

 同時に、矛盾しているが心を鬼にして厳しくしなければ、とも思っている。

 そこら辺の兼ね合いが難しい。

 どうしても、厳しく叱っている時と、愛情を注ぐ時の落差が激しくなってしまう。これでいいのだろうか? と悩みながら子育てに取り組んでいる。

 そうなんです。

 私は今はやりの言葉で言えば「イクメン」なのだ。

 イクメンなどと呼ぶと最近現れた存在のように感じるかも知れないが、さにあらず。随分と昔のアニメにもイクメンは登場している。

 ガソリンで火を付けたボールをノックしたり、おかしなギプスを息子に取り付けたあの親父がそうだ。

 そう、星一徹である。

 私は、平成の星一徹を目指す。

 とりあえず明日から、しつけのためにちゃぶ台をひっくり返せるようなワイルドな男になることにする。
  
 

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本当の学力をつける本

 ★★★★★★★★★★

 本当の学力をつける本―学校でできること家庭でできること (文春文庫)

 

 子供の頃、勉強が大嫌いだった。他にやりたい事がたくさんあったし、じっと机に向かっているのが苦手だった。

 小学生の頃、学校の授業をまともに受けた覚えはない。いつも友達とふざけ合って遊んでは、先生を困らせていた。

 中学生の時は仕方なく、嫌々で勉強した。

 中学の反動で、高校生の頃には思い切り遊びほうけた。

 更に、高校の頃の反動で、就職した後で勉強に興味を持ち、それは今も続いている。

 自分の興味と、子供の教育のために本書を読んだのだが大変参考になった。

「以下引用」

 読み書き計算を毎日繰り返すことで、脳は大きな成長をとげる。東北大学の未来科学技術共同研究センターの川島隆太教授は、その著書『自分の脳を自分で育てる』(くもん出版)の中で、このようにおっしゃっておられます。

 脳も、手足の筋肉とまったく同じです。毎日、ランニングをするのと同じように、計算問題を解き続けると、脳のいろいろな場所が活発に働くようになります。すると、脳のいろいろな場所がきたえられます。たくましい脳になると、脳をうまく使うことができて、いろいろな、もっとむずかしい問題を解くときも、じょうずに解けるようになるのです。

 単純なことの反復は子どもの心を荒らすということがしきりに言われました。でも、川島先生はこの問題についてこう書かれています。

 学習で、いなかの一本道を高速道路(道は脳神経の例―陰山注)にするただ一つの方法は、くりかえし勉強して、脳の細胞と細胞の間に何度も何度も情報を流すことなのです。                          

                  (『自分の脳を自分で育てる』)

【『本当の学力をつける本』陰山英男〈かげやま・ひでお〉(2009年、文春文庫)】

 この本に書かれている事を、わが家でも徹底的に取り入れていく。

 以下は本書を参考にした私の覚え書きである。

 本当の学力を身につけるために必要なこと。

 1.規則正しい生活。(一日三食、朝はご飯、早寝早起き、適度な運動)

 2.教科書、文章の音読。

 3.単純計算の反復。

 4.漢字は読み書きの基本。

 5.理解よりも練習。

 6.テレビは必要最小限。

 7.できたら褒めちぎる。

 8.勉強の楽しさを教える。

 私の将来の野望の一つは、今年三歳になる我が子と一緒に大学に通うことである。(これは同じタイミングでという意味であって、別に、同じキャンパスでという意味ではない。念のため)

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彩花がおしえてくれた幸福

 ★★★★★★★★★★ ★★★★★★★★★★ ★★★★★★★★★★

                 彩花がおしえてくれた幸福

 読み終わるまでの間に、温かい涙が何度も頬を伝わり落ちた

 この世界には、何と素晴らしい人々が暮らしているのだろう。

 優しさと思いやりに溢れ、それをしっかりと行動に移す本当に温かい人々。そんな人たちがこの本には次々と登場する。

 私は一人、ページをめくりながら静かに涙を流した。

 人間は、人生は、世界は、本当に素晴らしい。

「以下引用」

 彩花を見送ってから、六年半あまりの歳月が流れました。

 日数にすれば二千数百日―。今、この文を読んでくださっているお一人お一人にとっても、さまざまなことのあった歳月だったことでしょう。

 私にとっては、あまりに多くのことがありすぎた、文字どおり嵐のような日々でした。この歳月のうち、私は、わが命より大切だった娘を喪い、心が癒えるまもなく、今度はガンという病魔によって、女性にとってはやはりかけがえのない乳房もひとつ喪いました。

 そう考えれば、しんどいことの多すぎた六年半でした。

 けれども私はまた、この歳月の中で「幸せ」というものの姿を知ることができたのだと思っています。

 嵐の中で、人生とはどこまでも闘いなのだと教えられた日々。座り込みそうになる自分を励まし、闘い続けるところに人間の幸福があるのだと、ようやく心から実感できるようになったところです。

【『彩花がおしえてくれた幸福』 山下京子〈2003年〉(ポプラ社)】

 何事も無く、平穏無事に暮らすことができればそれは幸福なのではないだろうか、という思いも、正直私の心の中にはある。愛する家族がいて、健康で、悩み事が無ければ、確かにそれを幸福と呼んでいいのかも知れない。

 しかし、人生を生き抜いていく過程で、苦しみや悲しみや悩みは決して避けて通れないものだ。

 あり得ないが、一つも悩みの無い人生などというもがたとえあったとしても、それはひどく薄っぺらで味気ないものであろう。これは負け惜しみではない。

 悩みが一つもないという人に時々出会うことがあるが、それはきっと、本音で話していないか、悩むべき問題に気付いていないだけなのだろう。

 苦労に苦労を重ねて、それでも悩みを乗り越えて真っ直ぐに生きる人物は、言葉で言い表せないような魅力を持っている。

 苦難な道を、前を見据えて歩き通してきた人物は、自分や家族の平穏だけを願っては生きない。

 お会いした事はないが、山下京子さんは本当に魅力に溢れた人だ。

 山下京子さんが著した三冊の本を、私はきっと、この先も何度も読み返すだろう。

 人生はどこまでも闘いなのだ。

 闘い続けるところに人間の幸福があるのだ。

 平穏無事だけを願う弱さとは決別する。

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アー・ユー・ハッピー?

 ★★★★★★★★★★

 スーパー・スター、矢沢永吉の本である。

 まだ二十代の矢沢永吉の言葉を収めた『矢沢永吉激論集 成り上がり』は、私の中ではブラベスト本。

 トップを走り続けたまま五十代になった矢沢永吉の本、『アー・ユー・ハッピー?』が良くない訳がない。

「以下引用」

 オレは怖いからツッパっていた。萩原健一と会ったときもそうだった。

 キャロルがデビューして間もないときに、ミッキー(・カーチス)さんが、「矢沢、ショーケンがお前らを見たいって言ってる。今日、来るよ」と言った。

「えっ。ショーケンが来るんですか?」

 当時の沢田研二や萩原健一といえば、オレには、雲の上ってことじゃジョン・レノンにも等しかった。とうとうショーケンがオレたちを見に来るぐらいにまでオレは出世したと思った。

 ショーケンは一時にスタジオに来る。

 オレもうソワソワしちゃって、ジョニーとかに「まだ一時にならない?」と何度も聞いた。そのときスタッフの一人が、

「一時になりました」

「ショーケン来てるか」

「まだ来ていません」

「おまえら、絶対にナメられるなよ」

 ショーケンだってちっともナメようなんて気はないのに。ただ単にキャロルを見に行こうかっていうだけなのに。オレはもう昂ぶっていた。

「ナメられるなよ」とメンバーに言った。

 やがて「萩原さんがいらっしゃいました」と誰かが言った。

 オレはもう、待ち焦がれて、待ち焦がれて、うれしくてうれしくて。

「レイバンはどこいった? オレのレイバン、レイバン」

 オレはサングラスを探した。

「ポマード、ポマード」といって髪の毛をなでつけてから、足をソファーに投げ出した。

「萩原さんがいらっしゃいました」

 そう聞いたとたん、オレは寝たふりをした。レイバン、リーゼントでソファーに寝ころんだ。

 ショーケンの声が聞こえてきた。ジョニーとうっちゃんたちは、普通にギターをいじっている。

「あ、こんにちは。どうもおはようございます」

 オレは絶対に自分から「おはようございます」なんて言うまいと思っていた。

「おまえらキャロルか~。カッコいいな」

 ショーケンの声が聞こえた。

「あのー」ってジョニーが言っている。

 このへんがタイミングかなとオレは思った。

「おまえら、カッコいいな」

 そうショーケンがいって、寝たふりをしていたオレはグッとショーケンのほうを向いた。カウントを計った。ここかなと思って、ワン、ツー、スリー、ドン。

「そういうあんたもカッコいいね」

 笑い話みたいだけど、オレがまだもっと野良犬みたいにやせてて、吠えてばっかりいたころだよ。

【『アー・ユー・ハッピー?』 矢沢永吉〈やざわ・えいきち〉(2004年、角川文庫)】

 30億の借金を背負って、それを跳ね返す男、スーパー・スター、矢沢永吉。

 繊細で、傲慢で、臆病で、優しくて、矛盾があって、それでも全力で生きる矢沢永吉。人間、矢沢永吉の生き様が胸をうつ。

 スーパー・スターとして生きることのストレスは、私たち一般人にはまるで想像も付かない。

 しかし、スーパー・スターであることは別にしても、矢沢永吉の生き方は真っ直ぐで頑なだ。

 あくまでもそれは活字を通して得た情報をもとにした、私個人の意見ではあるのだが……。

 物事には色々な側面があって、本書に書かれていることがすべて間違いなく事実であると信じる訳では無いが、ここに綴られている矢沢永吉の思いは真実なのだと私は思う。

 どでかい、どでかい夢を本気で描いて、それに向かって一途に走り抜けてきた姿勢は、心して見習わなければならない。矢沢永吉が、スーパー・スターとして走り続けられているのは、ただ単に運が良かったという理由からでは無いという事が、本書を読むと理解できる。

「カッコいい」っていう言葉は、私の中では、非常に大きなキーワードとなって存在している。

 これはイケメンとかハンサムだとかそういうんじゃない。生き様の話だ。身の処し方の話だ。人との接し方・付き合い方の話だ。目標に対する取り組み方の話だ。愛する者たちへ注ぐ眼差しの話だ。

 私はカッコよく生きたい。

 別にスマートじゃなくても構わない。矛盾を抱えていたっていい。時には失敗したっていい。

 でも、カッコよくありたい。

 私の人生は、私に、「カッコよく生きる事を望んでいる」と勝手に思い込んでいる。もちろんカッコいいかどうかを決めるのは自分である。誤魔化しはきかない。自分のことは全部判ってしまう。目は反らせられない。

 だから、やるしかない。カッコよくを目指して。ストレートで。

 カッコ良く生きたい人、スーパー・スター矢沢永吉の生き様を感じたい人、是非、『矢沢永吉激論集 成り上がり』『アー・ユー・ハッピー?』の二冊をお読み下さい。

成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集 (角川文庫)

アー・ユー・ハッピー? (角川文庫)

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