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新版 きけ わだつみのこえ ―日本戦没学生の手記―

 きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

 ある課題を達成するために、本書、『きけ わだつみのこえ ―日本戦没学生の手記― 日本戦没学生記念会編』を買い求めて読んだ。

「以下引用」

木村久夫(きむら・ひさお)

 一九一八年(大正七)四月九日生。大阪府出身
 高知高等学校を経て、一九四二年(昭和十七)四月、京都帝国大学経済学部に入学
 一九四二年十月一日入営
 一九四六年五月二十三日、シンガポールのチャンギー刑務所にて戦犯刑死。陸軍上等兵。二十八歳

〈中略〉

 吸う一息の息、吐く一息の息、喰う一匙の飯、これらの一つ一つの凡てが今の私にとっては現世への触感である。昨日は一人、今日は二人と絞首台の露と消えて行く。やがて数日のうちには私へのお呼びも掛かって来るであろう。それまでに味わう最後の現世への触感である。今までは何の自覚もなくやって来たこれらの事が味わえば味わうほど、このようにも痛切なる味を持っているものであるかと驚くべきばかりである。口に含んだ一匙の飯が何とも言い得ない刺激を舌に与え、溶けるがごとく喉から胃へと降りて行く触感を、目を閉じてジッと味わう時、この現世の千万無量の複雑なる内容が、凡てこの一つの触感の中にこめられているように感ぜられる。泣きたくなる事がある。しかし、涙さえ今の私には出る余裕はない。極限まで押しつめられた人間には何の立腹も悲観も涙もない。ただ与えられた瞬間瞬間を有難く、それがあるがままに享受してゆくのである。死の瞬間を考える時には、やはり恐ろしい不快な気分に押し包まれるが、その事はその瞬間が来るまで考えない事にする。そしてその瞬間が来た時は、すなわち死んでいる時だと考えれば、死などは案外易しいものなのではないかと自ら慰めるのである。

【『新版 きけ わだつみのこえ ―日本戦没学生の手記― 』 日本戦没学生記念会編 (1995年、岩波文庫)】

 平和な時代に生まれた私は、戦争のなんたるかも知ろうとしないまま生きてきた。傲慢のそしりを免れ得ない。この世に生を受けるのが、50年ずれていれば、私もまた戦争に殺されていたであろう。
 引用した文章を綴った木村氏は、二十八歳の若さで刑に処された。

 歴史を忘れ去った時、戦争の悲惨を過去に閉じこめた時、愚かな人間は必ず同じ過ちを繰り返すだろう。平和を享受する私たちは、今や、戦争の犠牲になった数え切れない魂たちの叫びに耳を傾ける努力を完全に怠っている。
 この国が、再び戦争に巻き込まれないという保証は、どこにもない。

 戦争犠牲者になった方々の切なる声に耳を澄ます。

 戦争の足音を聞き逃さないように。
 

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