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キッドのもと

 ★★★★★★★★★★×3

 キッドのもと

 私は昔から、漫才コンビ「浅草キッド」が好きだった。好きと言っても、出演番組を必ずチェックするという程ではなかったが。

 書店で、この『キッドのもと』を見かけた瞬間、私はほぼ反射的に、中を確認もせず手に取ってレジに向かった。過去、水道橋博士の本は二冊読んでいたが、コンビが書いたものを読むのはこれが初めてだった。

 一気読みした。

 読み終える頃には、この二人「浅草キッド」のことが、「好き」から「もの凄く好き」へと変わっていた。

「以下引用」

 長い間、子供が欲しいと思ったことはなかった。
 なぜなら、中学時代から「自分」だけでも付き合いきれないほど面倒で、扱いきれず、さらに「自分の分身」のような者が生まれるとなれば、育てる余裕も、長く愛せる自信もあるはずがなかった。
 芸人になってからは、その非道ぶりに、ますます「自分は自分で終わらせたい」と、年を重ねるほど強く思うようになっていた。
 そんなボクに二〇〇三年八月、初めての子供が誕生し、その後、我が家は三人の子宝に恵まれた。そして、生まれつき「先天的神経性心配癖悲願性弱気体質自己懲罰願望症候群」のボクは、大いに取り乱した。
 しかし、三回も経験すれば慣れそうなものだが、それでも毎回、妊娠、出産の過程で、ボクは決まってどぎまぎと不安に陥った。
 子供が無事に生まれてからも、赤ん坊の頃の生物としての脆さや、その小さな生命を二十四時間見守ることへの恐れが尋常ではなかった。
 もちろん、その感情はボクだけではなく、子供を授かった時、この世の誰もが経験するものだろう。だからこそ、どんな人も子供が生まれると「変わる」ことになるのだ。
 また、第二子に「娘」を持った時も不思議な気分だった。
 ボク自身が男兄弟で育ったため、家庭に幼い女の子がいることの違和感が長く拭えなかったが、娘が三歳にもなると、日々、娘を持つ喜びを体感させてくれている。息子と比べて、ついデレデレと甘く接してしまう毎日は、さながら″娘キャバクラ″状態だ。
 続く第三子は、なんと二〇〇九年の元旦に生まれた。「おめでたい」にも程があるだろう。しかも、出生率が五パーセント未満といわれる、四〇〇〇グラムを超える巨大児で誕生したのだ。
 こんな小さなボクの子供なのに、人生は何が起こるかわからない!

 ボクに子供が生まれたことを、両親はいたく喜んだ。特に芸人になってから長く弟弟子や秘書と同居していたために、母親からは同性愛疑惑もかけられていたので尚更だ。
 
そのボクが初孫を抱いて初めて帰郷した時、母は、
「たけしに息子をさらわれたと思ったら、息子がたけしという孫を連れて帰ってきた」

 と、しみじみ感慨深げに語った。
 少年時代を過ごした実家で、その言葉を聞いた時―。
 両親が不登校の自分を巡って喧嘩するのを耳にし、「ここからいなくなりたい」と思ったシーンが蘇り、こんな自分にも役割があり、自分が自分だけで終わらず、連綿と続くバトンになった気がした。

 そして、三人の子育てしながら、今、思うのは、
「みんな違って、みんないい」―。
 子育てに関しては、この言葉がボクの結論だ。

(水道橋博士)

【『キッドのもと』 浅草キッド〈水道橋博士・玉袋筋太郎〉(2010年、GAKKEN)】

 二人の人間としての温かさが、文章のあちこちで全開になって溢れてくる。生きていく事の、家族が一つである事の儚さが、味わい深い文章で綴られていて思わず涙がこぼれ落ちる。

 私は、玉袋筋太郎の大ファンになった。

 全ての人に全力で本書をお勧めする。

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