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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑪

                  ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

「以下引用」

 対決を避けるわけにはいかない。私は対面を恐れて震えていた反面、それを心から望んでもいた。いつも夢につきまとって離れないあの怪物、私の生活を永久に血まみれにしてしまったあの化け物は、本当にいるのだろうか? シモン・シボマナのキャバレーの前を通るのだ。どうしても行かなければ。たとえどんな結果になろうとも。彼がそこにいて普通に暮らしていることを確かめる必要がある。あの男が馬鹿げた想像力の生み出した魔物ではないことを。

 果たして彼は本当にその場所にいた。カウンターの奥にいたのだ。彼は目を上げた時に私の視線をとらえ、すぐに私だと気付いた。一瞬ぎょっとしたようだ。テラスのテーブルに囲まれたキャバレーの入り口で、私は片目でじっと彼を見た。私の存在を目の当たりにして、周囲は奇妙なほど静まり返っている。シボマナは変わっていなかった。相変わらずずんぐりとして、真っ赤な唇をしていたが、髪にだけは白いものが混じり始めている。彼がおどおどしているのが分かった。死んだはずの者が生きているなんて、そうそうお目にかかれるものではない。

 しかしこのずる賢い男は、すぐに冷静さを取り戻した。そして、愛想のよい態度を前面に押し立てて、親切気に優しい言葉をかけてきた。

「可哀想に! 奴らは何てことをしたんだ!」

 その厚かましさ、事実をひっくり返すそのやり方に、私は呆気にとられてしまった。その時、自分の口が声高にはっきりとこう言ったのを今でも覚えている。

「自分がやったことぐらい覚えているだろ!」

「まあまあ、抑えて抑えて。ほら、ファンタをやるよ!」

 もちろんファンタなど飲まなかった。是非会いたいと思っていた人物に会えた私は、走って市役所へ向かった。国旗が立つその中庭を横切っていく。数ヶ月前、殺戮者たちが酒を飲み、宴を張っていたところ。私が、早く殺してくれと頼んで回ったところ。しかし今日は家族全員の名において、正義を求めてやって来た。人間性に対する罪でシモン・シボマナを告訴するのだ。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 一九九四年に起きたジュノサイドを生き延びた著者は、スイスの慈善団体サンティネルに身を委ね、故国ルワンダを離れてジュネーヴに行った。

 そして、約二年間をスイスで過ごした後の一九九六年に、正義を行うためにルワンダに舞い戻った。著者レヴェリアン・ルラングァ氏はこの時、まだ17歳だった。

 二年前に家族全員を目の前で殺され、自身は鼻を削がれ、右耳を切り払われ、左手を切り落とされ、左目をえぐり出され、うなじを切り裂かれた17歳の青年が、家族の仇討ちを果たすためにではなく、「正義」を求めて殺戮現場に帰ったのだ。

 どうして、それほどまでに気高く強い心を、この著者は持てたのだろうか?

  ジュノサイドに遭遇したのがもし私であったならば、とどれだけ想像を凝らして考えても、直接的な「復讐」を求める己の姿か、恐怖に囚われ一歩も前に進めない打ちひしがれた自分しか思い描けない。

 翻って、シモン・シボマナのふざけきった言葉は、もう、狂いに狂っているとしか表現ができない。人間の究極に醜い姿を体現しているのが、シモン・シボマナという人物の生き様である。この男は、人類の歴史に名を残す極悪の中の極悪人である。

 二年前に、重傷の心と体を引きずって、殺戮者たちに早く殺して欲しいと頼んで回った場所を、強靱な精神をうちに秘めた正義の青年は、たった一人戦うために歩を進めた。

 その一歩一歩が、人類の希望の歩みだった。

 レヴェリアン・ルラングァ氏がたった一人で起こした正義のための戦いこそ、どんな絶望もはね除けて進み、希望を勝ち取るための人類の聖戦である。

 人間が自らの心の中に築き上げなければならない「勇気」と「正義」と「希望」を体現しているのが、レヴェリアン・ルラングァという人物の生き様である。
  

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