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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑩

「以下引用」

 しばらく待てば、天国で家族と再会できるのだろうか? 罪のない者たちを死に追いやった殺戮者たちは、地獄で業火にかけられるのだろうか? 正義は罪人たちを罰してくれるだろうか? 惨殺した屍を誇示するかのように、火を囲んで酔っ払いながら楽しそうに踊り狂うフツ族の殺戮者たち。神はそのうなじを切り裂いてくれるのだろうか? 子供たちの目の前で母を裸にし、暴行を加え、腹を切り裂き、くるぶしを切断した男たち。彼らは永遠の拷問にかけられるのだろうか? わざわざ赦しを乞わせておいてから殺すような下劣な奴らが赦されるのだろうか? 母が必死に祈っていた「慈悲深き神様」は、はきだめのようなこの情景をどう思っているのだろう?

 死に行く子供の問いかけだったこういう疑問を、死ねないまま成人した今も問い続けている。読者はもうお気づきかと思うが、他にも答えが見つからないままになっている疑問がいくつもある。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 著者レヴェリアン・ルラングァ氏の魂からの切実な問いに、この世界の誰が正しく答えられるだろう。

 一生途切れることのない激しい問いかけは、それを発する著者自身をその度ごとに飲み込んで、暗闇の深淵に溺れさせるに違いない。

 問いかけを止めようと思っても、それは決して赦されない。

 身体に刻まれた酷い傷跡が、目の前で虐殺された四三人の家族が、ルワンダの大地に染み込んだ百万人のツチ族の人々の血が、何の罪もない著者を決して解放しないのだ。

 個人的な考えを書く。

 天国・地獄というものの存在を私は信じない。死がすべての終わりだとは思っていないが、輪廻転生のような生まれ変わりを信じているという訳でも無い。「死」が肉体的にどういう状態を指すのかという事は判るが、「死」の本質がどういう事なのか、私にはさっぱりと判らないし自分なりの想像さえ持てていないのだ。

 が、しかし、「しばらく待てば、天国で家族と再会できるのだろうか?」という著者の問いに対して、私は「何の根拠もありませんし、どのような形になるのかはまるで判りませんが、私は会えるだろうと信じています」と答える。

 また、殺戮者たちは、自分たちが行った事の報いを必ず受けるだろうと信じている。

 この宇宙に存在する星々の運行や、ミクロな電子の運動が秩序だっているのは、因果が応報であることの証なのではないだろうか。

 因果が応報であるから、この宇宙はビッグバンという因から始まっているのだ。現代の科学は、そのビッグバンの因までもを紐解こうとしている。

 因果応報であるこの宇宙にあって、人間の行いだけがそこから外れるとは考えにくい。たとえ虐殺を行ったフツ族の人間が、何の報いも受けずに生を全うし死を迎えたとしても、この因果応報からは決して逃れられないのではないだろうか。

 よって、「罪のない者たちを死に追いやった殺戮者たちは、地獄で業火にかけられるのだろうか?」という著者の問いに対して私はこう答える。

「フツ族の殺戮者たちは、必ずその報いを受けて業火に焼かれることになります」

 しかし、虐殺者たちのうなじを切り裂くのは「神」などという曖昧な存在ではなく、「因果応報」という、この宇宙を厳然と貫く法則である。

 

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

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