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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ⑥

「以下引用」
 三十人ほどいた修道女たちと二人のスペイン人司祭は、ジュノサイドが始まった直後の四月七日、UNAMIR(国連ルワンダ支援団)に救出され、軍用車で去ってしまった。司祭の名はジャンとイシドーレ。私は二人とも大好きだった。ミギナに三十年も暮らしていた両司祭は、私の両親と同じぐらい訛りのないキニアルワンダ語を話せた。家族同然だと思っていたその司祭が、突然私たちを見放したのだ。もし二人が残っていたら、多くの生命を救うことができたにちがいない。きっとそうだ。殺戮者たちは、司祭を踏みつけにしてまで教会の中に押し入る勇気がなかったはずだ。(もともと疑り深いツチ族に比べて、聖職者に忠実で真面目に勤めを果たしていたのはフツ族の方なのだから)。しかし実際に起こってしまった後で、あれこれ考えて何になる?

 私たちの羊飼いは子羊を見捨てた。さっさと逃げてしまった。子供を連れて行くことさえしないで。私には、両司祭が私たちを見捨てた事実を理解することも受け入れることできなかった。二人は小型バスに乗る前に、誰にともなくこう言った。

「お互いに愛し合いなさい」

「自分の敵を赦してあげなさい」

 自らの隣人に殺されようとしているその時の状況にふさわしい言葉ではあったが、それは私たちを取り囲んでいるフツ族に言うべきだろう。

 司祭の一人はベルギーに避難した後、こうもらしたという。「地獄にはもう悪魔はいない。悪魔は今、全員ルワンダにいる」と。神に仕える者が、迷える子羊たちを荒れ狂うサタンの手に引き渡すとは、感心なことだ!

 ある修道女もトラックに乗る前に、周りに殺到してきた人々に向かって「幸運を祈ります!」と言っていた。ありがとう、修道女様。確かに幸運が来れば言うことなしなのだが。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 この部分は何度も、何度も読み返した。

 綴られている事実について考えようとすればするほど思考は停止し、意味のない言葉ばかりが頭の中を駆け巡っては消えていく。

 私は、キリスト教の教義については殆ど何も知らない。

 しかし、信仰という問題を抜きにしても、三十年も同じ土地に住み、家族同然と思ってくれていた人々を見捨てた両司祭の行動は断じて許せない。

「お互いに愛し合いなさい」

「敵を赦してあげなさい」

「幸運を祈ります!」

 なんたる捨て台詞! なんたる偽善! なんたる傲慢!

 この言葉を投げ捨てられたツチ族の人々の、落胆とショックの大きさはどれほどの物であっただろう。

 これが、今まさに極悪が行われようとしている場所から、尻尾を巻いて逃げ出す人間の言葉だろうか。置き去りにする人々は、罪もないのにやがて殺されるであろう人々である。

 ましてや信仰者である。

 両司祭を始め三十人の修道女たちは、どんなことがあろうとも毅然とその場にとどまり、祈りと正義の言葉で戦うべきだったのだと私は思う。

 彼らは何のためにルワンダに渡ったのだろうか。彼らは何のために神の教えを説いていたのだろうか。これは教義うんぬんの以前の問題だと私は思う。

 三十年の付き合いを重ねた家族同然のツチ族の人々を、本気で守りたい、救いたいという願いがあったならば、外国人という立場を利用して戦う方法は何かあったのではないだろうか。

 それに、キリスト教は世界中で信仰されているのだから、同じ信仰をたもつ人々で作られた組織を、もしかしたら動かすことも出来たのかも知れない。

 いや、どんなことをしてでも動かさなければならなかったのだ。その覚悟も無しに、一体どんな教えを説いていたというのか。

 逃げ出していく人間の吐いた「幸運を祈ります!」などという言葉には、何の真実も含まれていない。

 彼らが、三十年にわたってルワンダで行動したことの全てが、紛れもない偽物であった事を、彼らは自らの行いによって証明してみせたのだ。
 

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