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ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記 ④

 わが家の隣に住んでいた女性のドナティーユ・ウワンテデも、うなじのすそ辺りをマチューテで切りつけられたにもかかわらず、何とかこの大虐殺を生き延びた。しかし、その傷のせいで首が回らなくなってしまった(民兵は新入りに対して、犠牲者を半殺しの状態で苦しませるにはどこを狙うのがいちばん効果的かを教えるという)。殺戮のあった時に生き別れになってしまったので、死んだものと思っていたが、カブガイの病院で偶然彼女とすれ違った。私たちは二人とも惨めな状態にあった。互いの姿を認め合った時、確か同じ言葉をつぶやいたはずだ。
「ドナティーユ、死んだと思ってたよ!」
「レヴェリアン、死んだと思ってたわ!」

 つかの間の休息。しかし何百人という他の生き残り同様、ドナティーユも一九九八年、裁判で虐殺者側に不利な証言をした直後に毒殺された。殺害した犯人は見つかっていない。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』 レヴェリアン・ルラングァ/山田美明[訳](2006年、晋遊舎)】

 虐殺を行った人間のその後の人生は、どう流れていくのだろうか。

 半殺しで苦しむ効果的な方法を教えたような人間の末路が、決して安穏である筈がないと私は感情的に思ってしまうが、実際のところはどうなのだろうか。

 自分の罪深さに気が付かないまま、人生を終わる人間も多いのかも知れない。

 しかし何百人という他の生き残り同様、ドナティーユも一九九八年、裁判で虐殺者側に不利な証言をした直後に毒殺された。

 なんというおぞましい事実。

 怒りと、悲しみと、やり切れなさを感じることしか出来ない。

 これは現実の世界で起きた事なのだ。

 人間が実際に行った事に違いないのだ。

 この事実に対して、私は何が出来るのだろう。

 感情にさざ波を立てて、ブログに文章を綴り、私はこれ以上の事は出来ない別世界の無力な人間なのだ、と一人無理矢理に納得することしか為す術は無いのだろうか。

 映画、ホテルルワンダの中で、主人公ポール・ルセサバギナが、虐殺の場面を撮影した報道関係者に、これが世界中で流されればルワンダが救われると礼を述べた時、礼をされた外国人記者は悲痛な面持ちでこう答えた。

「世界の人々はこの映像を見て、“怖いね”と言うだけで、ディナーを続ける」

 私は、この書を読んでブログに文章を綴った後、「私は無力だ」と心の中でつぶやくだけで、日常の生活を続ける事しか出来ないのだろうか。

 この問いに、残念ながら今の私にはこう答えるしかない。

「出来ない」

 今のところ、私には何をどうする事も出来ない。

 虐殺されたツチ族の方々のご冥福と、虐殺したフツ族の人間達に正義の鉄槌が下されることを祈っていくことしか出来ない。

 私は心の中で、小さくつぶやくのでは無く、ありったけの大きな声で叫ぶ。

「私は無力だ! 私はちっぽけな人間なのだ!」

 しかし、私は、このままの自分で終わるつもりはない。

 偽善者のほら吹きと思われようと一向に構わない。

 私は無力から脱却するために、本当の力をつけようと思う。それが今の私の偽りない気持ちと決意である。

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