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日本人の矜持

  ★★★★★★★★☆☆

 お茶の水女子大学名誉教授である数学者、藤原正彦氏の対談集である。中から、小説家の五木寛之氏との対談から引用する。

「以下引用」
五木  

  言葉になったものが歴史になるわけですが、言葉にならない ものも多いのです。
 先ほど三十八度線を突破したときの話をしましたが、ついに書けなかった話もあります。私たちは外出禁止令が出ているなか、平壌からトラックを買収して三十八度線を目指したのですが、一回目の脱出は失敗しました。ブローカーに騙されて、平壌周辺をぐるぐると回っただけでした。
  そして二回目の脱出行で、平壌と三十八度線の中間にあった沙里院のガードポイントをトラックで突破するときでした。それまで何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
  若い娘はまずい、子持ちはだめ、あまり年上でもよくないということで、結局は芸者さんなど水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。そのうちリーダー役の人物が土下座して、「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。そうやって女性を送り出していった側の人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
藤原  
  
この本にも、そこまでは書いていませんね。
五木  
 ええ、どうもそこまでは言えません。さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のようになって帰ってくると、「ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、こっそり子供に言う母親がいた。本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを意って蔑んだ目で見る。戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。私は自分も日本人でありながら、日本人に対する幻滅が強く湧いて、いまも後遺症が消えません。
【『日本人の矜持』 藤原正彦〈ふじわら・まさひこ〉(2010年、新潮文庫)】

 こんな極限の体験を読むと、何一つ言葉を見つけられない。

 戦争の悲惨を私は知らなさすぎる。現在、私たちが当たり前のように享受している平和な生活は、過去幾多の困難を乗り越えてきた先人たちの、言葉に出来ないような悲惨の上に成り立っているというのに。

 無知は罪ではないが、無知であることを知らないこと、無知から抜け出すための努力をしないことは罪以外の何ものでもない。

「学ばずは卑し」である。

 私は積極的に読むべき書籍のカテゴリーに、戦記を新しく付け加えて学んでいく決意だ。平和を願う人間が、戦争のことを何も知らないというのではまるでお話にならない。そんな人間の願う「平和」は絵空事でしかないと言われても仕方がない。

 2010年現在、この日本という国で普通に生活している限り、爆撃される心配もなく、飢餓に怯える必要もなく、犠牲で陵辱された上に蔑まれるようなことも、まずない。
 これは当たり前のことでも何でもない。世界中には戦火を逃げ惑い、慢性的な飢餓に生命を失い、「死」よりもつらい虐待を受けている人々が溢れている。
 私たちは、海外で起きている不幸なニュースを観た後に、「怖いね」と言うだけで、ディナーを続けることをいつまでも繰り返してはならない。

 私たちに何が出来るのか?

 まずは現実を知ることだ。

 一方的に受け取る偏った情報だけに頼らず、本物の情報を手に入れる術を私たち民衆の一人一人が持たなければならない。言うまでも無いことだが、手に入れた術を使いこなす努力も必要である。そして、その情報をもとに声を上げるのだ。
 

 この日本という国を、真の国際貢献のできる国家に変えていくことが、無念の体験を乗り越えて生命のバトンを手渡してくれた先人たちに出来る、唯一の恩返しだと私は信じる。
 山積みにされた問題を前に、たじろぐばかりでは、この世界から「悲惨」の二字は無くならないのだ。
 

 読み応えのある対談集を読みたい人にお勧めの一書である。

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